葛飾北斎と小布施の繋がり
天保13年(1842年)秋、葛飾北斎は83歳のころに初めて小布施を訪れました。
きっかけは天保の改革により、歌舞伎や音楽などの娯楽とともに絵の制作にも厳しい制限がくだされたことです。
思うように絵を描くことができなくなった北斎は江戸を離れることを決め、小布施の豪農商・高井鴻山の招きに応じて訪れたといわれています。
1842年から享年90までの間で小布施の地に4度ほど訪れ、小布施の祭りで巡行されていた祭り屋台の天井絵や、岩松院の天井絵という大作を残しました。
岩松院について
拝観料
一般 500円
小・中学生 200円
未就学児 無料
拝観受付時間
4月~10月:9:00-16:30
11月 :9:00-16:00
12月~3月:9:30-15:30
毎時00分、20分、40分より10分弱の解説人によるご案内があります。
天井画鳳凰図の真下で、椅子に座って説明を聞くことができます。
※11:30-12:30は録音音声となります。
住所
長野県上高井郡小布施町雁田615
※年中行事に伴う拝観不可・自由拝観の日時があります。
これら以外にも法要等、行事の場合はお休みする事があります。
最新情報は岩松院の公式ホームページや電話等でご確認ください。
※拝観料は変動する可能性がございます。予めご了承ください。

岩松院の見どころ 1
葛飾北斎筆 八方睨み鳳凰図
葛飾北斎88歳から89歳にかけての作品といわれています。
約1年をかけて大間天井に鳳凰図を描きました。
大きさは畳21枚分。現存する中で最大規模の作品。
極彩色の鳳凰は絵の具代150両、金箔4,400枚を用いて表現され、塗り替え等の修復をされることなく今日に伝えられています。

岩松院の見どころ 2
小林一茶と蛙合戦の池
「やせ蛙 負けるな一茶 是にあり」
俳人 小林一茶が虚弱に生まれた我が子、千太郎を想って詠んだ有名な句です。また、52歳まで結婚できなかった自らの不遇をやせガエルに重ねていたとも言われています。
小林一茶は1763年、信濃北部の北国街道柏原宿(長野県上水内郡信濃町大字柏原)の農家に生まれました。
この岩松院の"蛙合戦の池"で生まれた蛙たちは3年から5年でまたこの池に産卵に下りてきます。そのため“必ずかえる”福蛙とも呼ばれています。

岩松院の見どころ 3
戦国武将、福島正則の霊廟
福島正則は豊臣秀吉の家臣であり、戦国時代後期を彩る代表的な猛将で賤ヶ岳の七本槍、七将の一人としても知られています。
安芸国広島藩主、後に信濃高井野藩の初代藩主となります。
信濃高井野藩は現在の長野県須坂市、高山村、小布施町、中野市、山ノ内町にまたがる約2万石の領地です。
霊廟には遺骨を埋葬し、「海福寺殿前三品相公月翁正印大居士」の戒名を刻んでいます。遺品の一部が本堂内に展示されています。
※冬季は見学できません。
Royal Hotel 長野から岩松院までのアクセス
移動手段が車の場合、通常時 下道利用で約40分 高速道路利用で約25分
拝観券付き宿泊プラン

夕・朝食付き
ご夫婦・カップル
チケット付き